恋は甘酸っぱい青春の香り。
若かりし頃の恋愛を思い出して、胸がキュンとなったことがある人も多いはず。
不倫は「禁断の果実」と揶揄されます。
アダムとイブが蛇に唆されて、神様に「食べてはいけないよ」と言われていたリンゴ(イチジクという説もあります)を食べてしまい、エデンの園を追放される原因になった果実
禁じられれば禁じられるほど、手にしたくなるのは人の性なのかも知れません。
恋は突然に‼️
映画や歌のタイトルにもなるくらい「恋は突然に」訪れます。
「出会った瞬間に恋に落ちた」
「気が付いたら好きになっていた」
誰しもそんな経験をしたことがあると思います。
・同窓会で久々に会った
・飲み会に参加したら
・会社に新人が入ってきた
・偶然入ったお店の店員さん
・友達が連れて来た友達
偶然なのか必然なのか?いつどこで恋に落ちるかは誰にも予想も出来ません。
恋に落ちる相手が「自分より年下なのか年下なのか」「容姿端麗なのかお金持ちなのか」それこそ神のみぞ知るです。
もし神様がいるなら、せめて恋に落ちる前に「未婚者なのか既婚者なのか」くらいは教えておいて欲しいものです。
そのドキドキは本物❓
「胸の高鳴なり」と「恋をしてる実感」はイコールです。
好きな相手と一緒にいて、ドキドキした経験をお持ちの方も多いのでは?
でもいざ付き合いだしたら、あの時感じたドキドキ感は薄れ「いつの間にか何も感じなくなった」そんな経験もおありでしょう。
ひとは、緊張や恐怖を感じるとドキドキします。心拍数が上がり、心臓の鼓動が高まるからです。
・仕事に厳しい上司と相対するとき
・ホラー映画を観たり心霊スポットで
・スポーツ観戦や運動をしたあと
・お酒を飲んだとき
・ひとりで初めて行く場所で
・美しい景色や感動する風景に出会ったとき
こんなシチュエーションで恋に落ちた人は世の中ごまんといます。
俗に言う「吊り橋効果」ですね。
吊り橋の上のような不安や恐怖を強く感じる場所で出会った人に対し、恋愛感情を抱きやすくなる現象のこと
どんなに緊張する相手とでも、毎日一緒にいたら慣れますよね?
これがドキドキの正体です。
「美人は3日で飽きる」と言われますが、まさにその通り。
どんなにドキドキした相手とでも、吊り橋効果で生まれた胸の高鳴りは3日が限界です。
「あと先考えろ」は正解❓
人生は選択の連続です。右を選んだら左には行けません。
欲しい洋服があります。
デザインも色もお気に入りで、前から欲しいと思っていた服にやっと出会えた気分です。
ところが、今月は金欠で給料日はだいぶ先です。ここで買ったら今月の生活はピンチになるかも知れません。
①その服を買ったあと、自分の姿を想像すると満足を覚えます。最高の気分です。
②その服を買って満足した先は後悔です。スマホ代も払えず止められてしまうかも知れませんし、食費を削って体調を崩してしまうかも知れません。
全ての行動には結果が伴います。
行動した目先の「あと」の結果と、行動したあとの「先」に待っている結果です。
大抵、行動した目先の「あと」は満足するものです。感情の赴くままに目的を果たすことが出来るからです。
でも、行動したあとの「先」に待っているものは後悔がほとんどです。
小さい頃から「あと先考えろ」とよく教わった人は、欲求を満たす「あと」ばかり見て行動し、「先」を見通す力が少ないことを知っていた大人たちの警告だったのかも知れません。
人生を180°変える不倫の代償
「恋に落ちたという錯覚」「あと先考えない決断」そんな曖昧な感情と行動によって
、あまりに大きな代償を支払う不倫。
・「不倫は文化」芸能人の言い訳
・「私はコレで会社を辞めました」なんてテレビCM
不倫にまつわる話は、枚挙にいとまがありません。
いっときの感情で人生を180°変えてしまうとも知らずに。
時にその代償は計り知れません。
・何十年も払い続ける養育費や慰謝料
・地位や職を失う
・世間や社内でのバッシング
・子供との別れ
・家族という絆を失う
不倫とは、今まで築き上げてきたモノを全て崩壊させる「禁断の果実」
神様が「食べてはいけないよ」と言っているんだから、蛇に唆されようが「ドキドキ」しようが、あと先考えられる大人になるべきなのでしょう。
不倫がもたらす恩寵
いくら言い訳しても、誰に聞いても正当化されない不倫ですが、ひとつだけ許されるケースがあります。
許されるといっても「社会的」「倫理的」「法律的」にではありません。
あくまで「感情的」にです。
・相手が離婚に同意しないとき
結婚相手がDVやストーカーと化してしまったり、失踪して死亡宣告を待っている既婚者が、離婚手続きが出来ずに次の幸せを掴もうとしているのを批判する気はありません。
「社会的」「倫理的」「法律的」には不倫として叩かれるかも知れませんが、形式的には不倫でも「感情的」には不倫ではないと思います。
そして、許されはしませんが「あっても仕方がない不倫」があります。
・全てを受け入れる覚悟をもった不倫
支払う代償も受ける非難も、「先」にある後悔も全て受け入れるという覚悟と、死ぬまで自分の行動から生まれた責任を果たすなら「あっても仕方がない」のではないでしょうか。
・法律とは時の権力者が作ったモノ
・倫理とは宗教的思想
・婚姻とは社会的仕組み
そんな法律的倫理的社会的な枠組みを取っ払ってしまえば、ヒトも生きとし生きる者、つまりは動物であり生物なのです。
「ドキドキした」「あと先考えない」のも仕方がないでしょう。
相田みつをも言っています「にんげんだもの」と。
アダムとイブですら神様に逆らって「禁断の果実」を食べてしまったのですから。