人生の選択に悩んだ時、面白そうな方を選び続けたらどうなるのだろうか?
人生は選択の連続。しかし、人生の分岐点とか岐路と呼ばれる選択ばかりが「人生の選択」ではない。
・今日は何を着ていこうか
・お昼は何を食べよう
・どこに出掛けよう
・誰に会おう
もっというなれば、右に曲がるのか左に曲がるのかも人生の選択だ。
「いちいちそんなことで悩まない」という人もいるかも知れないが、みんな毎日選択をしているのだ。
選択肢の選び方で人生は変わってくる。
楽しい人生を歩ける人はゴールデンルールを知っている。
①いつも面白そうな方を選択する
②選択したことを楽しめる
③また面白そうな方を選択する
④幸せのループが繰り返される
これが幸せのゴールデンルール。
面白そうと思う選択肢を選ぶことが出来る人の人生はいつも幸せだ。
「そんなの当たり前じゃないの?」
そう思ったあなたは幸せな人生を送れているのでは?
世の中、面白そうと思ってもそちらを選べない・選ばない人もいる。
決してつまらない方を選びたい訳ではないのだが、つい選んだ選択肢の反作用を考えてしまう。
「仕事を辞めたら生活に困る」
「離婚したら子供の面倒はどうしよう」
「ラーメンは健康に良くないよな」
誰しも1度は悩んだことがある選択肢だろう。
どちらを選んでも、選べなかった選択肢を体現出来る訳はないのだから、選んだ選択肢が正解だったと思うしかないのだが、選んだ反作用を考えるとなかなか踏ん切りがつかない人も多い。
中庸を選んだつもりが、つまらない人生。
気が付けば、なんの面白味もない人生になってるなんてこともしばしばだ。
・どちらに転んでも間違いない選択
・どちらを選んでもダメージが少ない選択
どちらにも傾向せず、自分も他人も傷つけない選択肢なんてあるはずもないのに。
そんな基準でしか選べないのであれば、人生がつまらくなるのは当然だ。
面白そうな方を選べば良いんじゃないの?
どちらを選んでも正解なんてないなら、「今」面白そうと思える選択をするべきだ。
「こっちを選んだらこうなるかも知れない」と、未来の自分を想像したり、起こるかどうかも分からないことに気を揉んでいてはいけない。
リスクヘッジは人生に於いても大切な自己防衛手段だが、起こるかどうかも分からないリスクばかりに目を向ければ、一生家に閉じこもるしかない。
死ぬ瞬間が幸せだと思えれば、今までの選択は全て正しかったと思えるのなら、その瞬間まで面白そうな方を選び続ければ良いのだろう。
後悔しても人生は続く
なんであんな選択をしたんだろうと思っても人生は続く。
選んだときを「点」でみればミスチョイスだった選択肢も、長く続く「線」としてみればグッドチョイスなこともある。
・前の仕事を辞めたから新たなチャンスを掴めた
・離婚をしたから自由を手に入れることが出来た
・ラーメンを食べたからダイエットをする決意をした
悪くなるかも知れない反作用を受け入れる覚悟が出来たからこそ、手に入れることが出来る良い作用もあるのだ。
「点」の先にある「線」を歩まなければ最後まで結果は分からない。
大切なのは今この時
結局、過去を振り返ってみて今が楽しければ全ての選択は肯定され、今がつまらなければ否定するだけの話。
選んだ選択肢を「点」で見たら良い悪いは一目瞭然なチョイスも、「線」でみたら何かを手に入れるための布石なのかも知れない。
翻っていうなら、つまらないと思って選んだ選択肢でも「今」が楽しければ正解だったと思えるし、面白そうと思って選んだ選択肢でも、「今」がつまらなければ不正解だったというだけのことだ。
つまりは、いかに「今」この時この瞬間を、楽しむ選択が出来る人生にするしかないということなのだろう。
そして、過去に選択を誤ったと思っていても「線」は続いている。
だからこそ、「今」を楽しめているかどうかが、その選択肢を選んで良かったかどうかの判断基準なのだろう。
たとえそれが人生を大きく変えるような禁断の選択だったとしてもだ。