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禁断の話題?【自然死・病死・事故死・自殺・安楽死】1番苦しまない"死に方"について考えてみた

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全ての生きる者が、決して避けては通れない「死に方」について考えてみた。

こういう話をすると、自殺願望があるように思われてしまいがちだが、出来ることなら一生死にたくはないと思っているし、健康であるなら永遠に生きてやろうと思っているくらいだ。

 

それでもあえてこの話題に触れるのは、40歳後半という「サラリーマンとしての終わり」が見えてきたからだろうか。

 

 

死に方を話すのはタブー?

「生きるものが死を迎える」という自然の摂理は、小学校でも教えてくれる。ところが「死に方」については、学校はおろか家庭でも話題に上ることはほとんどない。

日本における「死」は、神聖かつ禁断の話題であり「死に方」に関していえばタブーな話題とされている。

「苦しまずに死にたいわ」

「眠るように死ねたら幸せなのに」

そんな願望ともいえる言葉を口にした人は多いだろうが、実際に自分の「死に方」について、家族と真剣に議論した人は少ないはずだ。

 

最近の思うのだが、死ぬことに目を背けるのではなく、終わりを見据え「残りの人生をどう生きるか」を考える為にも、具体的な「死に方」について目を向けることも大切ではないかと。

 

死に方の種類

人が死ぬ主な原因として挙げられるのは、自然死・病死・事故死・自殺・安楽死の5つだ。

自然死

加齢による身体機能の衰えによって生命維持が困難になり、自然な結果として死に至るケースを指す。いわゆる老衰だ。

自然死というと眠るように死んでいくイメージかも知れないが、日本における自然死は、病気や怪我が直接的な死亡原因でなくても、そのことが間接的に生命活動の阻害させ、身体機能を衰えさせ死に至った場合も自然死として扱われる。

つまり、純粋な意味での自然死を迎えられる可能性は極めて低い。因みに年齢別死因ランキングベスト5に、自然死が入るのは85歳からである。このデータからみても分かる通り、老衰で枯れるように死ぬのは難しいことがよく分かる。

 

病死

日本人が亡くなる原因で最も多いのが病死だ。そのうち、40歳から89歳までに亡くなる病気トップ3は、ガン・心疾患・脳血管疾患だ。4位に肺炎、5位にやっと老衰が登場する。人生100年時代と言われても、現代人のほとんどは病気で死ぬのだ。

病気による死は、特に新陳代謝の低下が著しい40歳以上からの年代で多く見られる。いくら科学が発達し医療が発展しても、人の身体は40歳を超えたら死に向かって老化するのだ。

 

事故死

交通事故などに不慮の事故よって受けた外的損傷によって死亡するケースだ。不注意や自然災害で亡くなる場合も含まれる。一般的に、不慮の事故で亡くなるケースは低いと思われがちだが、19歳までの死亡原因で最も多いのはこの事故死だ。年齢を重ねるごとに減る傾向にあるが、20歳から29歳の死亡原因においても、不慮の事故は2位にランキングする。

 

自殺

精神的・肉体的苦痛などによって生きることに絶望して自ら命を絶ってしまうケースだ。首吊りや入水自殺から、練炭や睡眠薬の服用などその方法は様々である。

20歳から39歳までの死亡原因で最も多いとされるのが自殺である。40歳から49歳の死亡原因においても自殺は2位にランキングする。自殺する理由は本人にしか分かり得ない。若年層における自殺と中年層における自殺とでは、その原因は異なるが本人の環境や経済状況、精神状態や考え方など様々な状況が複合的に重なり合って、自殺という手段を選ぶ場合がほとんどだ。

一般的に自殺は、周りの者を悲しませる事から、その選択肢は認められる事はなく、むしろ非難されることすらある。しかし、死期を悟った人間が食事を取らなくなって枯れるように死んでいくことや、日本では認めてはいないが安楽死を選択して死んでいくこととの境目は曖昧だ。

 

安楽死(尊厳死)

日本ではあまり馴染みのない安楽死。基本的には死に至る薬物の投与により苦しまずに死ぬことが出来る。特定の国においては法律的にも容認されている。もちろん安楽死を要請できる人・手続き・透明性の確保など、そのプロセスは厳格なもので、誰もが簡単に安楽死を選択できるわけではない。

 

安楽死は、厳密に言うと積極的安楽死と医師等自殺幇助に分けられ、国によっては両方認めている場合もあれば片方のみ認めている場合もある。ちなみに安楽死を認めている国は、スイス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・カナダ(一部の州)・アメリカ(一部の州)・オーストラリア(一部の州)だ。

 

人間と動物の死に方の違い

人間と動物の違いについて調べてみた。

ご存知の通り、人もまた動物の1種。つまりは人間も動物も死に方についてさして違いは無い。ただ唯一違うとするなら、動物は自殺をしないというのが一般的な見解だ。

何をもって自殺とするかは難しい話だが、動物は死という概念を持ち合わせていないというのが「動物は自殺をしない」論者の理屈だ。

 

ところが世界各地では、動物の自殺とも受け取れる事象が発生している。

・飼い主が亡くしたペットが、その後何も食べなくなり後を追うように衰弱死

・水族館に移されたマグロが、ガラスに体を打ち付けて衰弱死

・動物園に連れてこられた野生のクマが、岩や木で自らを傷つけ衰弱死

・十数等の牛が崖の上から身を投げ転落死

・生まれたての子蜘蛛の餌として身を差し出す母蜘蛛

・死期が近くなると群から離れひとりでどこかに消える猿

・狼に襲われたとき、群れのなかで1番強い者が盾となり他の仲間を逃して食われる羊

これらの事象を、自殺と言って良いかは議論の余地を残すところだが、少なからずとも広い概念での自殺とは言っても良いのではないだろうか。

 

個人的な見解としては、人間と動物の死に方に関していえば、さして大きな違いは無いのではないかと思う。

 

絶対に嫌な死に方

痛みや苦しみに苛まれながら死ぬのだけは御免被りたい。

あと1つ付け加えるなら、この世に未練を残したまま死ぬ事はしたくない。

これは勝手な想像であるが、死ぬ間際になって「もっといい暮らしをしたかった」とか「あの時こうしていればよかった」などといった過去を悔やむようなことはしない気がする。むしろ、残す家族を悲しませたり、自分が死ぬことでこの先の生活を不安がらせることの方が、未練となって悔やまれる気がする。

 

理想の死に方

できることなら「何の痛みや苦しみもなくひっそりとポックリ逝ければ何も心配することはないのに」とも思うが、こればかりは死ぬときになってみないと分からない。

 

人の生き死には、お釈迦様でもわからない人知を超えた自然の摂理だ。いくらぽっくり寺にお参りに行こうが、長生きしようと健康に気を遣っていてようが、死は突然訪れる。

 

問題はやはりその死に方だ。

社会通念上、一般的に許容される死に方は、【自然死>病死>事故死>安楽死>自殺】の順序だが、実際自分が死ぬことを考えたら【自然死>安楽死>自殺>病死>事故死】に、順序は置き換えられる。

 

早い話が、痛かったり苦しかったりする死に方をしたくないのだ。言うなれば、生きることが死ぬほど痛かったり苦しかったりするのであれば、自ら死という選択を選びたいというのが本音だ。

 

日本において、安楽死(尊厳死)や自殺は道徳上ないし法律上許容されてはいない。しかし死んでゆく者にとって、もし仮にそれらを選択する余地があるのであれば、必ず救われる人もいるはずだ。

これに関しては、死んでゆく者と遺される者で見方は変わるし、道徳上ないし法律上の問題もはらんでいる。しかし、個人的な意見としては安楽死(尊厳死)や自殺も許容されても良いのではないかと思う。

少なくとも、死ねこと以上に生きることが辛く苦しいという経験をしたこともない人間が、安楽死(尊厳死)や自殺を切望する人間を非難することは間違っているのではないだろうか。

 

ありきたりだが、やはり理想的な死に方としては、痛がったり苦しんだりしないことはもちろん、自分自身や家族も合わせて、この世に未練を残さずに逝くことだ。そんなことを考えていたらこの言葉を思い出した。

 

「明日死んでも良いように今日を生きる」

 

つまりは、今日という日を人生最後の日と思って行動し、毎日一生懸命に生きていくしかないのだろう。