禁断の離婚は甘いか酸っぱいか

離婚したバツイチ独身者の暮らし

「思い通りにはいかない我が人生」離婚してもしなくても結局【四苦八苦】

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離婚をするまでこう思ってました。

「コイツと結婚したから幸せじゃないんだ」

「ひとりならもっと楽しく暮らせるのに」と。

自分の思い通りにならない人生に苛立ち、その原因をすべて結婚したことのせいにして毎日を暮らしていたのです。

 

離婚すると「羽が生えたようだ」と仰る方がいますが、当たらずとも遠からずです。

確かにひとりの自由は、自分裁量でなんでも出来ますし誰にも気兼ねする必要はありません。だからこそ反対に大変不自由なこともありますし、誰のせいに出来ないということは意外と気兼ねをすることも多いのです。

 

結婚してふたりでも、離婚してひとりなっても私が生きているこの世の中はつくづく思い通りにはならない、まさに「四苦八苦な世の中なのだな」と最近にして思うのです。

 

つきまとう四苦

生きとし生けるものすべてつきまとう【生老病死】。

この世に生を受けた日から受け入れざるを得ない定めです。ここでいう「苦」とは苦しいということのほかに思い通りならないということも意味します。

 

【生きる苦しみ】

結婚とは「喜びは2倍、悲しみは半分」

そんな甘い幻想に囚われていた私は「喜びは半分、面倒は2倍」と、結婚して数年経った頃から思うようになりました。

生涯の伴侶がいても【生きる苦しみ】は変わらないのだと気付いたのです。

 

では離婚してひとりになったら、その苦しみは無くなるかといえばそんな訳はありません。

毎日生きていれば嫌なこともありますし、嫌な人間とも付き合わなければいけません。

ひとりの自由時間とを謳歌できるかと思いきや、家事やら家の用事やらをすべてひとりでこなしていると、なかなか思い通りに生きているとは言えません。

結局【生きる苦しみ】はひとりになっても変わりませんでした。

 

【老いの苦しみ】

老いを感じる年代に差し掛かかると、つくづく「歳はとりたくないな」と思うようになりました。

30代で結婚した私は、当時も朧げながらそんな老いを感じつつも「2人で仲良く年老いていければ良いな」くらいに考えていました。

 

ところが【老いの苦しみ】の本当の意味は、若い頃と比べて体力が落ちるとか気力が衰えるということではありませんでした。

私が感じた老いとは、自分に残された時間が見えてくることだったのです。

極端な話、若い頃は人はいつか必ず死ぬと理解していても、そのいつかは遠い未来の話であって自分にはまだ関係ない、むしろ自分はまだ死ぬわけがないと思っていました。

しかし40歳を越えた頃からでしょうか「人生の折り返し地点を回ったんだな」と。

この先、生まれてからの時間と同じだけの時間を過ごせば死ぬのかも知れないと強く感じたのです。

もちろん誰もが人生80年あるわけでもなく、明日死んでしまうかも知れないとは分かっていても、やはり40歳という年齢はターニングポイントなのでしょう。否が応でも死を意識せざるを得ません。

そして、この老いの苦しみを感じた私は、未来は永遠に続くと信じ共に歳を重ねていくことを望んでいた結婚当時とは違い、嫁に対して「一生コイツとこのまま過ごしていくのか」と思うようになったのです。

むしろ、年老いていく嫁を間近でみることで、老いの苦しみをより一層強く感じるようになりました。

 

そして離婚してひとりになってもこの【老いの苦しみ】は変わりませんでした。

鏡に写る自分の姿を見ては「歳をとったなぁ」と毎日思うわけです。このままひとりで年老いていく未来を想像すると、思わずゾッとせざるを得ません。

 

【病気の苦しみ】

漠然とですが、お互いどちらか病気になったり倒れたとしても、2人でいればなんとか生きていけると思ってました。

2人で励まし助け合えば【病気の苦しみ】は怖くないものだと。

 

でも痛いとか苦しいのって分かち合うことは出来ないですよね。「大丈夫?」とか「病院行く?」と声掛けられても「お前には分からんだろー」と思い、反対に苛立たされてしまうのも事実です。

結局、病気にならないよう日頃の健康管理が大切なのであって、病気になってしまえばいくら面倒を診てもらっても優しく声を掛けられても、痛いものは痛いし苦しいものは苦しいのです。

もちろん離婚してひとりになってもこの【病気の苦しみ】は変わりませんでした。

 

【死んでいく苦しみ】

「ベッドに横たわり愛する人に手を握りしめられて旅立つ」。

なんとなくコレが伴侶をもつ者の最良の人生の幕引きだと思ってました。

結婚して思ったのは、まだ生きたいという思いと愛する妻や家族を残して逝く未練に「この世への執着がなくならないのでは?」というこです。

 

これまでの人生で、病気や事故によって何度か死を意識したことがありますが、そんな未練を抱えたまま死にたくはないと思いました。

眠るように穏やかな死を迎えられるならまだしも、回復する見込みのない生の終わりに向かって、愛する妻や家族に未練を残しながら【死んでいく苦しみ】を味わいたくないのです。

 

ではひとりなら、この【死んでいく苦しみ】から解放されるのでしょうか?こればかりはまだ死んだことがないのでなんとも言えません。

死に際に誰かそばにいて欲しいと思うのか、ひとりでしみじみ我が人生を振り返るのか、はたまた生への執着からジタバタともがき苦しむのか。

もし死期を悟ることが出来たのなら、ひとりでひっそり朽ちるようにあの世に旅立ちたいとは願っています。

 

人の世はいつも八苦

前述した四苦のほかに、人が人たらしめる苦しみとして【求不得苦・怨憎会苦・愛別離苦・五蘊盛苦】があります。

先の四つの苦しみと併せて四苦八苦と呼ばれ、よく「人生四苦八苦だなぁ」と表現されます。

 

【求不得苦(ぐふとっく):お金や物、名声や地位など求めるものが手に入らない苦しみ】

結婚していれば、家族のためにも出世をして家を建て、子供には人よりいい暮らしや教育を与えてあげたいものです。口にはしなくとも、奥さんには周りから羨ましがられるような暮らしをさせてあげたいと思ってしまうものです。

 

ところが、そういう欲求には限りがありません。手取り20万円の生活をしてれば30万円の暮らしに憧れ、やっと手に入れた30万円の暮らしになっても次は40万円の暮らし。結局、欲望と他人との比較に際限はありません。

このことは結婚していようが離婚しようが逃れられない人の欲求なのです。

離婚したら他者を満たさなければいけないというプレッシャーからは解放されても、今度は自分ひとりの欲求を手に入れることにプレッシャーをかけるのです。

結局のところ、足ることを知らない人間は【求不得苦】の苦しみから解放されることはありません。

 

【怨憎会苦(おんぞうえく):恨みや憎しみを抱く相手と出会う苦しみ】

結婚してようが離婚していようが、馬の合わない相手やムカつく相手とは関わりたくないですよね。

出来得ることなら自分と相性の良い相手、気の合う相手とだけと出会い、この先を一緒に暮らしたいものです。

 

忌み嫌う相手と出会うのはなにも他人ばかりとは限りません。結婚していればその相手は明日の妻かも知れませんし、自分の子供かも知れません。

離婚してしまえば明日の妻に憎しみを抱くことはありませんが、まだ見ぬ他人からは逃れられません。

結局のところ、恨みや憎しみを抱くような相手と認識するのか、慈しみや愛を抱く相手と認識するかは自分の心の持ちようだと最近にして思うのです。

 

【愛別離苦(あいべつりく):愛する人といつか別れなければいけない苦しみ】

幸せの絶頂期ふと思いました。

「この幸せはいつまで続くのだろう」と。そう思った瞬間から別れることが怖くなりました。

「いつかお互いに愛情がなくなるんじゃないか」とか、「いつかどちらか先に死んだらどうしよう」と。

しかし離婚して思うのは、この気持ちがあるからこそ「その瞬間を大切にしなければいけなかった」と今にして思うのです。

 

別れることは辛いけど、人はすべてのモノをいつか手放さなくてはいけません。

離婚せず、死ぬ間際まで愛する者に囲まれていたとしても、死んでしまえばその瞬間から永遠の別れ、離婚して途中で愛する者と別れてもその瞬間から永遠の別れ。

どちらにしてもいつかは手放さなければいけないのです。

 

【五蘊盛苦(ごうんじょうく):心身を思うようコントロール出来ない苦しみ】

自分の心と身体を思うようにコントロール出来たら、ほとんどの悩みや苦しみは無くなるのかもしれません。

嫌なことがあってもウダウダ考えなくてもいいし、将来の不安を感じてもネガティブにならなくて済むならどれほど幸せなことでしょう。

「身体のどこそこが痛い」とか気にすることなく若い頃と同じように動けたら、どれだけ楽しい人生が歩めるでしょう。

結婚していても離婚していても、心と身体をコントロール出来ない悩みは尽きません。

 

すべての【四苦八苦】からの解放

「人の世は四苦八苦」

まさにこの世は苦しみに溢れた世界です。

結婚していた頃、この苦しみから逃れたくて離婚しました。そして離婚してもこの苦しみからは逃れることは出来ませんでした。

 

ところが離婚して3年。最近にして思うのは「すべての問題は自分自身にあって、他者や周りの世界にあったのではなかったのだ」ということです。

 

この世はすべて諸行無常。良きも悪きもあらゆるものは絶えず変化していて、常に一定ということはありません。

にも関わらず、手に入れた愛情や人間関係、地位や名声、お金やモノに至るまで、未来永劫変わらず自分のモノだと考え、それに執着してしまうものです。

 

成功していると思っている時、幸せだと思っている時ほど、この成功と幸せは自分の力で手に入れ、思い通りの人生だと過信してしまいます。

そして、この執着こそが苦しみの原因であり、手に入れた成功や幸せを、たまたま自分の側を通っただけとは思えないのです。

本当はその成功も幸せも、言うなれば自分の財産や命ですらも、この世のすべてがお互いに絶妙なバランスを取り、影響し合って生まれた偶然の産物なのにも関わらずです。

つまり、互いの関係のなかで自分が「生かされている」存在だということに気付けなかったのです。

 

兎にも角にも、世の中は自分の思い通りにならないことばかり。そんな時、ひとはよく自分以外のモノに原因を押し付け「自分は悪くない」「誰それが悪い」と不満や怒りに支配されてしまいがちです。

そんな時に出会った仏教の教え【四諦八正道】を知って、私の場合、今までの人生とこれからの人生が救われました。

【四諦】

①苦諦(くたい)

生きることは思い通りにならないと理解し、苦しみと向き合うこと

②集諦(じったい)

苦しみの原因は、物事に執着した煩悩にあると理解すること

③滅諦(めったい)

煩悩を原因とする苦しみを消し去り、安らかな心をもって生きること

④道諦(どうたい)

安らかな心をもって生きるために、修行の道(八生道)を実践すること

 

【八正道】

①正見(しょうけん)

正しいものの見方、考え方をもつこと

②正思惟(しょうしゆい)

怒りや憎しみに左右されることなく正しい意思で判断し、心の行いを正しくすること

③正語(しょうご)

嘘や悪口を言わずに、正しい言葉を使うこと

④正業(しょうごう)

殺生や盗みなどをせず、正しく生きること

⑤正命(しょうめょう)

行儀よく規則正しい生活を行うこと

⑥正精進(しょうしょうじん)

善いことに向かって正しく努力すること

⑦正念(しょうねん)

正しい意識、思いをもつこと

⑧正定(しょうじょう)

正しい心を保つこと

もし「このまま結婚を継続するか、離婚してひとりになるか?」若しくは「離婚してこの先どうすればいいのか?」そんなことで悩んでいるなら、この【四諦八正道】を実践して、思い通りにはならない人生でもイキイキと暮らしてみては如何でしょう?